拉麺旬報日本散歩フレーム)>吉見百穴

日本散歩


吉見百穴。
◎東武東上線東松山駅東口から徒歩20分位。

蟻の巣ではありません。吉見百穴(よしみひゃくあな)です。
よしみひゃっけつではありません、よしみひゃくあなです。



土手の上からの遠景


入場料は大人一人200円。ずうーっと150円だったのにいつの間にか値上りしていました。また、以前は知り合いが入場券を売っていたのですが、人が替わっています。聞くと三月いっぱいで辞めたそうです。

ゲートをくぐり、近くで見ると、何とも不気味な様子です。
右下に説明が書いてあります。読んでみましょう。





句読点が少なく、ちょっと、読みにくい文ですが、こんなことが書いてあります。

吉見百穴

「百穴」の名が文献にみられるのは今から二百年位前で江戸時代の中頃には「百穴」の呼び名も生まれ不思議な穴として興味をもたれていたと思われます。
「吉見百穴」が科学的に検討されだしたのは明治になってからで内外の著名な考古学者により調査が行なわれ横穴の性格をめぐってさまざまな意見が発表されました。
明治二十年坪井正五郎博士により大発掘が行われその結果人骨・玉類・金属器・土器等が掘り出され横穴の性格を土蜘蛛人(コロボックル人)の住居でありのちに墓穴として利用されたものであると断定されました。しかし大正末期に入って考古学の発展により各地で横穴の発見発掘の結果その出土品横穴の構造から横穴が古墳時代の後期に死者を埋葬する墓穴として掘られたものであることが明らかにされ「住居説」がくつがえされることになりました。そして大正十二年「吉見百穴」はわが国の代表的な横穴墓群として国の重要な文化財として史跡に指定されました。戦時中横穴墓郡のある岩山に地下工場建設が行われ数十基の横穴がこわされましたが戦後、吉見百穴保存会の結成により積極的な保存、管理がなされ、その後、昭和三十八年吉見町に移管され「吉見百穴」は再び多くの人々に愛され、親しまれる史跡となりました。
                       吉見町



ウンチクを付けたところで、さてさて上に登ってみましょう。
手すり付きの階段が整備されていて、私のガキの頃の記憶とは違い登り易いです。

途中、ほとんど埋まってしまった穴が幾つもあります。




所々に説明があります。

横穴を作った人々

横穴はどんな人々が掘ったのだろう。岩山の上から西の方を眺めると市野川の広い沖積地をへだてた対岸に平坦な柏崎の台地が長く続いています。
この台地の上から最近古墳時代後期の住居跡が発見されました。
また西側に開けた 自然堤防からも六・七世紀の住居跡が沢山みつかっています。いずれも「吉見百穴」を造った人々と関係のある住居跡と推定されます、おそらく対岸の台地上や、市野川の自然堤防の上には古墳時代の後期には大小いくつかの村がつくられ活発な人々の生活が営まれていたに違いありません。


私の実家では私で七代目でその前は近所の本家です。更にその先祖は…。
もしかしたら、この穴にでも葬られているのでしょうか…。

穴の中は左右に一段高い段が付けてあります。ここに埋葬したのでしょう。
それほど長くないところを見ると、当時の人の身長が低いことがわかります。現代のような飽食の時代ではないので当たり前と言えば当たり前ですが。





頂上には売店があります。
また、辺り一面 下草や枯葉がきれいにされています。
見た目は整備されているのですが、そのせいで土が流れ、木々の根が露出しています。文化財の保存と言う観点からみると、いかがなものでしょうか…。





太古の史跡の保存状態は良くありませんが、昔の農機具や懐かしい乳母車が店の裏手にありました。どうも人間と言うものは、自分の一生という尺度ではかれるものの方に、その価値を置いてしまうようです。





もうすぐ咲きそうな山ツツジ。
大木も枯れて切られ、表土が流れ、凝灰岩があらわになった山肌。





黄泉の世界から外を望む。




落書きだらけの穴の内部。
こんな落書きも、あと数百年もすると、『古代人の文字』になってしまうのでしょうか。




入り口の狭い部分が崩れ、大きく口を開けている幾つもの穴…。ナウシカで火を吐く巨人がドロドロと溶けていく時のようにも見えます。
私のガキの頃の記憶にはこんな光景はないんだけど…。




穴の中に投げ捨てられた空き缶…。




それでも、人が入れないようになっている所は、草生していて昔のたたずまいを残しています。凝灰岩の風化を考えると、土に覆われている方がいいのでしょうね。





ひかりごけ。

さてさて、ここのもう一つの名物が 『光ゴケ』 です。
金網がされた穴が二つあり、一つはその金網にさえ近づけないのですが、もう一つは金網越しに光ゴケが見えます。
コケなので、やはり湿った季節の方が活き活きとしています。そしてもちろん、天気のいい日の方が光ります。
ここの他には、鬼押出しで見たことがあります。






軍需工場跡。

そして更に、古墳時代の穴とは別に、第二次世界大戦時の大きな穴が数ヶ所開いていて、中でつながっています。







中は薄暗くてひんやりとしています。所々ぬかるんでいてなんとも不気味です。






おわりに…。

千年以上に渡って埋もれていたものが、明治二十年の発掘をもって再び人々の目にふれるようになりました。それから百余年。風化は急速に進んでいます。
残念ながら私がガキの頃に見た百穴と比べても、状態は確実に悪くなっています。

穴の中には光りゴケがむし、穴の外は草木の花が覆っている。
そんな姿を私達の祖先は望んでいるような気がします…。





散歩した日・・・二千三年四月十九日 店主。


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