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藤金富士塚
◎R407上り、ステーキのどん交差点左折、タジマの隣り。

道路脇に古墳のような小山と説明看板があり、前から何だろうと気になっていました。





藤金富士塚

 従来この富士塚は古墳時代後期の古墳として取り扱われてきましたが、 昭和六十年に鶴ヶ島市教育委員会が行った調査などの結果から古墳ではなく富士塚であることがわかりました。
 富士塚は江戸時代から明治時代にかけて流行した代表的な民間信仰「富士講」の象徴であり、その起源は富士講の行者の記念碑として安永年間に築造したものといわれています。
 富士山の形に似せた塚を築き木花之開耶姫命を勧請し、中腹に御嶽山、麓にお胎内の洞穴等まで造ったもので、現地に行けない人も恩徳を受けることが出来るようにと造ったものです。
 市内の富士塚は、現在数基しか残っておらず、この富士塚は中でも際立って大きなもので、富士塚関係の古文書や民俗資料が併存するのもこの富士塚だけです。
 江戸〜明治にかけての庶民の山岳信仰の遺物として、民俗・歴史的観点から貴重な遺産であり文化財として永く保存、活用していく必要が有ります。

 東西長約十四米 南北長約十四米 高さ約四米

昭和63年3月
埼玉県
鶴ヶ島市



なるほど、古墳ではなく、”富士塚”と言う民間信仰の場なのですね。

塚の裏に回ると林の中に石碑もありました。
彫りが薄く読み難いのですが、造った人の経歴らしき文言が書き綴ってあります。そして最後には、『明治廿九年五月廿四日』 とあります。1896年の頃のものでさえ、後世では 『古墳時代後期の古墳』 と考えられたりしてしまうんですね。人々の生活がいかに薄い部分で営まれているか、の表れでしょうか。




また、石碑の後ろにはこんなのも…。
こちらからは、『大正十年』 と言うのが読み取れます。




塚の頂には大木が根を張っています。
天空の城タピュタのような雰囲気を醸し出しています。
この木があるうちは、塚の土が流れていかないように守られることでしょう。




散歩した日・・・二千三年四月二十九日 店主。


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