将軍山(しょうぐんやま)古墳

次に将軍山古墳に行きました。(写真は、丸墓山古墳から見た全景。)




将軍山古墳は、その一部が展示館になっています。上の写真の反対側です。




中は撮影禁止となっているので乏しい記憶が頼りですが、1階には古墳の断面の地層などが、2階には横穴式石室の復原模型があります。
古墳の土は近くのものが使われたとか、石室には千葉の富津や長瀞の石が使われたとか書いてあったようです。

この種の所でいつも思うのですが、撮影禁止ということは、筆記具を持っていれば説明文やスケッチ程度はできますが、それらがないと記憶のみが頼りになってしまいます。どのような理由かは知りませんが、より広い人に興味を持ってもらうにはもう少しゆるい規制でもいいのではないでしょうか…。

将軍山古墳

形 状 前方後円墳
全 長 90m
後円部 径39m 高さ8.4m
前方部 幅68m 高さ9.4m


(パンフレットより。)

 将軍山古墳は、明治27年に地元の人びとにより発掘され、横穴式石室からは馬冑(ばちゅう)や旗さし金具をはじめ、銅椀、環頭大刀(かんとうのたち)、馬具などの多くの副葬品が出土しましたが、その後、墳丘はかなり崩れてしまいました。
 そこで、これらの遺構や遺物を保存活用していくために、墳丘や堀の復原とともに石室の内部が見学できる将軍山古墳展示館を設置しました。
 古墳の墳頂・中段・造出(くらだ)しに立てられた埴輪(複製品)や、展示館内部の石室に配置された遺物(復原)からは、当時の姿を知ることができます。



丸墓山(まるはかやま)古墳

この古墳では、その墳頂まで登れます。
地元のケーブルテレビの人が、草むらでカメラを回していました。火祭りの取材のようです。





古墳へと続く道には、『史跡埼玉村古墳群』 の石塔が、また、古墳の麓には、同じく 『埼玉村古墳群』 の石碑があります。




また、登り口には説明看板があり、こんなことが書いてあります。

丸墓山古墳

形状:円墳
直径:102m
高さ:18.9m


 丸墓山古墳は、わが国最大の円墳といわれています。墳丘と堀の一部が復原されていますが、もとの形をよく残しています。
 遺骸を収めた埋葬施設はわかっていませんが、今までの調査によって、墳丘の表面をおおっていた石(葺石)、円筒埴輪や人物埴輪が発見されています。
 これらの出土品から、丸墓山古墳がつくられたのは、6世紀の前半と考えられます。
 天正18年(1590年)に、石田三成が、この古墳の南北に堤(石田堤)を築き、忍城を水攻めにしました。古墳から南にまっすぐのびている道路は、この堤のなごりです。
   昭和63年3月5日     埼玉県教育委員会


日本最大の円墳ですか!確かにでかいです!

一気に墳頂まで登ると息が切れますが、墳頂からの眺めはなかなかいいものです。
火祭りの催しも見えました。



また、道の反対側の古墳も木々の間から覗きます。




墳頂からは、反対側を下りました。
こちらの階段は、蛇行してはいますが急勾配なので、上りにはキツイでしょう。




隣りの稲荷山古墳墳頂から見た丸墓山古墳。均整のとれた御椀型をしています。
それにしても、よくもまぁ重機のない時代にここまで積み上げたものです。




散歩した日・・・二千三年五月四日 店主。


   


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