拉麺旬報>日本散歩(フレーム)>野本将軍塚古墳 |
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▽野本将軍塚古墳 ◎東松山市下野本612・613。西には公民館、裏には寺院の駐車場あり。 『東松山ぼたん園』 の帰り、 北側の無量寿寺寄りに説明看板が立っています(142kb)。 |
説明通りの なかなか大きな古墳です。 そんな古墳の後円部を左手に見ながら進むと 大きなイチョウの木が見えてきます。 |
そこは古墳のくびれ部で赤い鳥居があり、ここから古墳に登って行けます。
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▽前方部 鬱蒼と木々が生い茂る中を まずは右の前方部へ行きました。 |
そこには大きな石碑が二つ建っています。 その内の一つ、表には 『忠魂碑 陸軍大将 金谷範三書』 とあり、裏を見ると、『昭和九年三月建之』 とあります。 |
そしてもう一つの石碑には、 西南の役、日清戦役、日露戦役、大正三年九年戦役、満州事変、そのそれぞれでの戦死者の名前が刻まれています。 |
▽後円部 前方部から後円部に行ってみましょう。 くびれ部からは階段を登って行きます。 |
途中の祠と石碑。 石碑には、『奉納 一金五百圓也』 と刻んであります。500円の奉納で石碑も建ててもらえた。貨幣価値の違いを感じさせられます。 |
階段を登り終えた墳頂には、征夷大将軍・藤原利仁を祀る 『利仁神社』 があります。将軍塚古墳という名前の由来もここから来ているそうです。 … 参考:【さろん・ど・こき】さん |
狛”犬”でしょうか?? 特に右のは 笑ってるようにも見えますが。
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境内の西には大きな石碑があります。そしてそこには、『崑山重墳』 とあります。 どんな意味があるのでしょう。「優れたものを古墳に重ねる」と言うことでしょうか。碑文を読み込めばわかるのでしょうか。 『明治三十五年九月十五日 枢密院副議長 ・・・』 というのも読み取れます。明治三十五年(1902年)と言えば日英同盟の年。将軍塚古墳は行け行けどんどんの頃の歴史も乗せているようです。 |
そして、『伊勢参宮記念』 の石碑。 こちらは、『大正六年二月九日』。 |
帰宅後 ”伊勢参宮”で検索すると、色々と面白いものが出てきました。 古墳を訪れたのに、その後に作られた上物(うわもの)に色々な発見があり、今度は違った方向に散歩に行きそうです。 また、古墳時代、更には人類がこの地に住み始めてから延々と続いているあらゆる営み、その総体としての結果が今の日本の繁栄だ、と改めて思わせてくれる、そんな散歩でした。 |
散歩した日・・・二千三年五月五日 店主。 |
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