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鹿島(かしま)古墳群
◎大里郡川本町鹿島。 mapfan

次に、『鹿島古墳群』 を散歩しました。農林公園からは車で20分位です。

鹿島古墳群


古墳群には西から向かいました。
途中道に迷いましたが、小さな川にかかる橋を渡ると看板が出てきました。それに従い左に行くと、養鶏場の中を通りやがて古墳群にたどり着きました。

「おぉー! 辺り一面古墳だらけだー!」 が、はやる気持ちを押さえて、説明看板の横の空き地に車を止め、先ずは『説明看板』でお勉強です。

  鹿島古墳群

 所在地 大里郡川本町鹿島

 荒川中流域における古墳群で、分布は川本町鹿島、本田、江南町押切の範囲に及び河岸段丘上約二キロメートルにわたっている。
 現存する古墳五十六基は、小円墳がほとんどで荒川に近い古墳には埴輪を持っているものがある。
 昭和四十五年に圃場整備事業に伴い県教育委員会により二十七基の古墳が発掘調査されている。主体部は荒川系の河原石を用いた若干胴の張る横穴式石室で玄室には棺座を設けたものも見られた。天井、奥壁は緑泥片岩を使用していた。玄室と羨道の比は、二対一となり三十センチメートル(漢尺)の定尺となるものが認められている。
 出土遺物には、玉類が少なく、鉄鏃、直刀、刀子、耳環などが多く出土している。
 古墳の年代は奈良時代初期の住居跡の上に古墳が構築されているものがあり、七世紀初頭から八世紀初頭にかけてつくられたものと推定される。
 古墳の埋葬者は、在地において先進的な役割を果たした豪族であろうと思われる。
 荒川旧流域を代表する最も保存の良い古墳群で、埼玉県古墳文化の地域研究の上で貴重なものである。昭和四十七年三月二十日、県の史跡として指定されている。

 平成十一年九月
 埼玉県


小さな円墳の群集墳。七世紀初頭から八世紀初頭と言うと、古墳時代末期ですね。


車を止めた近くの古墳。
青い祠の乗った古墳もあります。また、その横からは荒川の河原に降りられます。

鹿島古墳群 鹿島古墳群

看板のすぐ後のは大きめですが、他は全て小振りです。

鹿島古墳群 鹿島古墳群


さきほど車で通りすぎた、西の養鶏場の所に行ってみました。鶏と犬が賑やかに迎えてくれます。
これもやっぱり古墳ですね。木の根が石を抱え込んでいます。また、犬の前の石積みは他から集めて来たもののようです。石はすべて丸く、川から持って来たのでしょう。千数百年前の人達が荒川からせっせと運んで来たんですね。

鹿島古墳群


養鶏場の近くから、今歩いて来た東の説明看板がある方向を望む。
当然そこにも古墳があります。

鹿島古墳群


白い花とその奥の古墳。             遥か南の方に見える古墳。

鹿島古墳群 鹿島古墳群


もとの所まで戻りました。
せっかくなので、河岸段丘から河原へと降りてみましょう。

鹿島古墳群 鹿島古墳群


河原には古墳に有ったような玉石が無尽蔵にあります。古代の人達もここから持っていったのでしょう。またこの地に古墳群があるのも、このように容易に石材が手に入るからかもしれません。

鹿島古墳群 鹿島古墳群


車に戻り東へと向かうと、アザミでしょうか青紫の花がたくさん咲いていました。

鹿島古墳群





と、これで終わりだと思ったら、とんでもない光景が目に入ってきました!
またしても古墳だらけです!
予備知識なしで古墳を巡るのもいいものですね。新鮮な驚きが得られます。

鹿島古墳群 鹿島古墳群


鹿島古墳群


  鹿島古墳群

説明看板  鹿島古墳群は、荒川右岸の河岸段丘上に東西約一キロに渡って帯状に分布しています。古墳は径十メートル〜三十メートル程の円墳で、荒川よりに密集して分布し、大水によって流された古墳も数多くあったと伝えられています。
 現在、県指定地の中には五十六基の円墳が保存され、指定地南側で発掘された二十七基の古墳やすでに失われた古墳を合わせると百基を越す大古墳群であったと推定されます。埴輪が立てられた古墳は少なく、七世紀を中心に八世紀初頭に至るまで次から次に築造された古墳時代最終末の古墳群と考えられています。
 川本町には、鹿島古墳群のほかにも箱崎古墳群・塚原古墳群島が分布し、合計二百基近い古墳が確認されています。また、奈良時代には周辺に古代寺院や集落遺跡が発見され、古墳時代から奈良時代にかけて、この地域(男衾群)の中心地として栄えていたようです。
 鹿島古墳群は、この地域の歴史を代表する貴重な遺跡として、昭和四十七年に埼玉県指定史跡に指定され、現在広く活用していただくために古墳公園として整備を進めています。

     埼玉県教育委員会
     川本町教育委員会


分布図を拡大すると、全体はこんなふうになっています。緑の部分に古墳が残っていて、グレーの部分は畑になっています。
初めに見たのは、左半分のみどりの部分の古墳で、大き目の丸の所に説明看板があります。また、中央辺りから右側には柵があり下草を刈っています。もしかしたら左まで刈って行くのかもしれません。

鹿島古墳群


人の背丈位の小さめな古墳が多いです。

鹿島古墳群 鹿島古墳群


すっかり錆びてしまった、昔の看板。       下草を刈るおじさん。

鹿島古墳群 鹿島古墳群


穏やかな墳丘のため、ゴルフ場の様にも見えてきます。

鹿島古墳群 鹿島古墳群


鹿島古墳群


東の端に行くと、ここにも説明看板があります。看板が幾つもあり、なかなか丁寧です。

  鹿島古墳群

説明看板  古墳とは今から千七百年前から千四百年前頃にこの地域の有力者を埋葬するために造られた墓で、土を高く盛り上げて、その内部に遺骸を埋葬する場所が設けられています。
 古墳の形は、平面形から前方後円墳や円墳、方墳などと様々な形がありますが、鹿島古墳群は円墳だけで構成されています。この様に小さな円墳が密集する古墳群を特に「群集墳」と呼び、鹿島古墳群はその規模から県内を代表する群集墳です。
説明看板  鹿島古墳群では、遺骸を埋葬する施設として荒川の河原石を積み上げた長さ四メートル、幅二メートル前後の楕円形の石室が築かれています。また、出入りできる入り口が設けられ、こうした石室を横穴式石室と呼びます。この石室には遺骸とともに生前使用していた太刀や弓矢、刀子などが副葬されました。鹿島古墳群では太刀などの武器具が多く出土しています。
 また、墳丘の表面は河原石で飾られており、築造された当時は草や木に覆われた現在のイメージとは異なった、白く輝く荘厳な姿であったようです。

     埼玉県教育委員会
     川本町教育委員会 説明看板


看板近くの古墳。
そして墳丘の上の石。河原からここまで、高さでは十数メートルでしょうか。今でも古代の人が込めた位置エネルギー(mgh)がこの石の中に蓄えられています。何とも不思議な感覚を覚えます。

鹿島古墳群 鹿島古墳群


鹿島古墳群


散歩した日・・・二千三年五月二十三日 店主。


   

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