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▽塩古墳群 ◎大里郡江南町塩。道の東側(14号墳と16号墳の間)に平滑された広場あり。 次に、『塩古墳群』 を散歩しました。要所要所には道標があり簡単に行けます。 |
丘陵地帯の更に丘の上に、この古墳群はあります。古墳群にはまだ若い杉の木がたくさん植わっています。下草も刈られて、きれいに手入れがされています。
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塩古墳群 所在地 大里郡江南町大字塩
塩古墳群は滑川沖積地を望む比企丘陵北端の支丘上の山林内に分布しています。この古墳群は、前方後方墳二基のほか、方墳二六基・円墳八基が残されており、古墳時代前期(四世紀中葉〜後半)の土器等の遺物が出土しています。 主墳の二基はいずれも、前方後方墳で、北側の第一号墳は、全長約三五m、高さは前方部で一・七m後方部で五・九mを測り、長軸北二〇度西を示しています。 南側の第二号墳は、全長約三〇m高さは前方部で二・二m、後方部で五・五mを測ります。 これらの古墳群は、極めて密集しており、保存状態も良好で、北武蔵地方の代表的な前期古墳群として貴重なものです。 昭和三十五年三月一日埼玉県指定文化財となっています。 平成一五年三月 江南町教育委員会
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1号墳のふもとから見た3号墳。
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1号墳は木が切られ禿山になっています。 1号墳の後方部墳頂から見た前方部と、右奥の2号墳。左奥の12号墳。 |
12号墳と2号墳を望遠で撮影。 古墳と言うより、杉林を撮ってるようですね。
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緑輝く8号墳。 7号墳と右奥の6号墳。
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林の向こうの3号墳。なかなか立派な墳丘をしています。
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13号墳は道の東側の藪の中にあります。 14号墳は半分削られ広場になっています。
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広場の南の16号墳と、17号墳。 分布図がなかったら16号墳は見落としてしまうでしょう。 |
電柱の陰の21号墳と奥の19号墳。 12号墳を道路から。民家が迫っています。
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塩古墳群全景。 杉林です…。
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『鹿島古墳群』 は荒川の河岸段丘の末端にあります。今は雑木が生えていて川は見えませんが、当時は見晴らしの良い場所を選んで古墳を作ったのでしょう。もしくは、六世紀の仏教伝来と関係があるのでしょうか。 一方の 『塩古墳群』 は、なだらかな丘陵ではありますが、それなりに登って行きます。いったいどんなことを考えて、山の上に古墳を作ったのでしょう。また、こんな山奥なのに地名が”塩”と言うのも気になります。岩塩があったわけではないでしょうから、生業として塩を扱う人がいたのかもしれません。 と思って検索してみると、【江南町のHP】に当りました。曰く、『地名辞典などには、「シオ」はシワと同じ意味を持ち、谷津の入り組む地形を呼ぶと説明しています。おそらく、江南町の「塩」の地名も地形に由来するものと思われます』。ん〜、そう考える方が正しそうですね。奥が深いです…。 |
散歩した日・・・二千三年五月二十三日 店主。 |
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