拉麺旬報>日本散歩(フレーム)>勝呂神社古墳 |
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▽勝呂神社古墳 ◎坂戸市石井。南から神社へ向かうと駐車場あり。東から入ると車は行き止まり。 次に、『勝呂神社古墳』 を散歩しました。この神社も古墳の上に作られています。 電線にかかる木の枝降ろしをしていた宮司に尋ねました。曰く、『石垣を造る前は、隣りんちの方まで裾が広がっていた。』 そうです。また、『大人七人が抱える程の杉の木もあったが、雷で倒れてしまった。』 そうです。 |
人が住まないと家は荒れるといいますが、社寺も同じだと思います。 ここは手入れが行き届いていて、まるで生きている様です。 |
小さな祠にも しめ縄が巻いてあります。文化八辛未年十一月吉日。1811年に造ったものです。
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また、神楽も行われるそうで、神楽殿もあります。先日の大宮住吉神社の神楽殿と比べると小さく見劣りしますが、逆に、この八畳ほどの空間でどんな舞が行われるのか、是非見てみたいです。
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境内の南西の隅に、板状の石が積まれています。 宮司曰く、『近くの古墳から出たもの』 だそうです。古墳の石室に使われていたものだと思います。また、『ちょうど昨日も来た。』 と言うので、古墳を見に来た人が昨日も来たのかと思えば、右手前の白い二つは、『裏で橋の工事をしていて、そこから昨日持ってきたもので、途中で二つに割れてしまった。』 そうです。 帰りに裏を通ってみました。丘陵が終わり田園地帯へと変わる所で、護岸工事をしていました。そこで出たものですね。 |
また宮司曰く、『この辺りでは、”塚三十三”というが、それは語呂がいいからで、実際は五十から六十あった。』 との言い伝えがあるそうです。 古墳はどこも人けのない寂しい所ですが、今日は宮司から色々な伝承を聴くことができてとても良かったです。是非これからも受け継いでいってほしいものです。 余談ですが、この地域には広大な宅地を持った家と立派な社寺が多いです。北や東に広がる越辺川流域の広大な農地のなせる技だと思います。古代ここに住み着いた人達の繁栄ぶりも容易に想像がつきます。 |
散歩した日・・・二千三年五月二十五日 店主。 |
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