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胴山古墳
◎坂戸市石井2037。車二台程は、説明看板の所に止められる。 mapfan

更にも一つ、『胴山古墳』 を散歩しました。

胴山古墳 南西より


  胴山古墳

説明看板  石井新町の胴山は海抜三0.二五メートルであるが、東西長径六0メートル、南北長幅三0メートル(前方部)の前方後円墳である。
 墳丘の高さは最高部で二.七五メートル、墳頂に小祠を杞っている。
 後円部の東、南側はかなり削りとられて原形をいちじるしく損しているが、南側のくぼみは石室構造全部をえぐりとっている。
 たまたま勝呂白山神社の境内に厚さ四0センチ、三メートル四方の黒褐色巨石があるが、この石が胴山出土のものと伝えられ、元宿所在の鬼橋も、この胴山の石室の一部ではないかと思われるが、確たる根拠はない。
 さて、胴山の前部周溝(西側)は、武藤氏宅の裏に堀となって旧状をとどめている。
 陪家も愛宕塚、稲荷塚などが残っていたが、いまは全部削平されてその面影はない。
 出土遺物がないため年代決定が困難であるが、六世紀後半の築造と推定したい。

     坂戸市教育委員会


説明看板の記載を読むと、さっきの勝呂神社の石はここのらしいですね。でも厚さは四十センチもなかったなぁ…。宮司に聞けば良かったです。


左は、北西から、前方部の隅。
右は、前方部の北面。斜面の下草がとられ花が植えられています。

前方部 後円部


そして東の削られた後円部。
ここへ行く途中のくびれ部には、車が二台止めてありました。また、後円部北面には犬小屋があり、ドデカイ番犬が唸っていました。更に、説明看板の右の方には、まだ新しい土が掘られた跡がありました。古墳は私有地なのでしょうか、色々な使われ方をしています。荒れ放題にしておくと、いい様にされてしまうのが残念です。

東側


散歩した日・・・二千三年五月二十五日 店主。


 

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