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七輿山(ななこしやま)古墳
point 群馬県藤岡市上落合831-1。 mapfan
上信越自動車道藤岡I.Cから。古墳北側にアスファルトの大きな駐車場あり。桜の名所らしいのでその為か。

point 参考リンク。
藤岡市役所藤岡観光観光アクセスガイド七輿山古墳


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今、『東国の古墳と大和政権 大塚初重 吉川弘文館』 を斜め読みしています。そして、その本の表紙と見開きにある写真が、群馬県群馬郡群馬町の八幡塚古墳。で、そこへの行きがてら、観光ガイドブックにも載っているここ、七輿山古墳に寄ってみました。

七輿山古墳の交差点 七輿山古墳

ナビを頼りに行ったところ、七輿山古墳の交差点で曲がって はまってしまいました。ここでは曲がらずに西へ2、30メートル進むと、すぐ左にアスファルトで整備された巨大な駐車場があります。

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季節がら、木々が生い茂っていて見難いですが、古墳の稜線を見ると段々が構成されているのがわかります。
また、周囲の堀は除草剤を撒いているらしく、草が枯れています。googleで検索すると少し前までは田圃で、更にその前は桑畑だったようです。周溝の使われ方からも、時代の流れを感じられます。

前方部右隅

(巨大古墳を撮るには広角が必要ですねぇ。かなり離れているのにワンショットでは収まりません…。)


駐車場の説明看板には、こんな説明があります。

  国指定史跡 七輿山古墳
七輿山古墳の駐車場の説明看板     所在地 藤岡市上落合831-1ほか
    所有者 国・藤岡市
    指定日 昭和2年6月14日
    追加指定 平成8年9月26日
 古墳は、鏑川と鮎川に形成された舌状の河岸段丘に作られた三段築成の前方後円墳である。大きさは全長145m、後円部径87m、前方部幅106m、前方部と後円部の高さは16mを計る。
 4回にわたる確認調査の結果、中提帯や外提帯と呼ばれる堤を境に内側と外側に周溝が巡り、三重目の溝、葺石、埴輪列が確認された。なお、円筒埴輪列は中堤の平坦面に2列、三重目の溝は前方部前面からコの字状に検出されている。出土遺物は円筒埴輪・朝顔型埴輪・人物・馬・盾などがある。特に、円筒埴輪は径40cm、高さ1mを越す7状突帯の大型品で、張付口縁と低位置突帯の特長がある。
 古墳の埋蔵施設は不明であるが、出土遺物から築造時期は6世紀前半に推定され、6世紀代の古墳としては東日本最大級の前方後円墳である。
藤岡市教育委員会

デカイと思ったら、全長145mもあるんですね。埼玉県行田市のさきたま古墳群二子山でも全長は138mですからデカイはずです。


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左に回って後円部から近づくと、ここにも説明看板があります。
また、看板の右奥に見える石塔へと登って見ると、六角柱の各面に地蔵が彫ってあり六地蔵となっています。こういう六地蔵は初めて見ました。

後円部の説明看板 六地蔵


そしてすぐ後ろの五百羅漢。ここにこういうのがあるとは知らなかったので、いきなりの光景に驚かされました。しかも全て頭がありません。

五百羅漢 五百羅漢


五百羅漢 五百羅漢


更に墳頂へと登るとそこにも石像が数体あり、後円部の外側を向いて置かれています。

墳頂の石像


それぞれに意味があるのでしょうが、風化が進んでいて良くわかりません。
草に埋もれたこの雰囲気が、なんとなくアンコール遺跡を思い出させます。

墳頂の石像 墳頂の石像


墳頂から北方向の展望。さすがに16mの高さがあると見晴らしがいいです。

墳頂からの展望


後円部から見た前方部。はっきりとしたくびれがあります。また、前方部へは なだらかに繋がっています。

墳丘


墳丘


前方部の左隅。千数百年経っているのにまだ角張っています。
この様にきれいであり続けるのは、盛った土の種類や技法、植生、そして後世の人からの扱われ方に拠るのでしょうね。

前方部の左隅


前方部先端には石積みがあります。古墳築造当時の物かその後付け加えられた物かは分かりかねます。そして前方部左側から見た後円部。

前方部先端の石積み 前方部左側から見た後円部


久しぶりの巨大古墳に圧倒させられました!

続いて、近くの伊勢塚古墳へ行ってみましょう。

標識


散歩した日・・・二千三年六月二十一日 店主。


 

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