稲荷山(いなりやま)古墳

そして、一番有名(?)な稲荷山古墳です。(写真は、丸墓山古墳から見た全景。)
最近復原した前方部には、まだ草も生えていません。




この古墳も墳頂まで登れます。




その前に、上り口にある、文字が薄く消えかけている説明看板を読んでみましょう。

稲荷山古墳

形 状 前方後円墳
主軸長 120m 主軸方位N−37.5°−E
後円部径 62m 高さ11.7m
前方部幅 74m 高さ10.7m(推定)


 この古墳は、昭和12年に前方部が土取りされ、現在は後円部だけが残っています。
 昭和42年の発掘調査で、後円部から2つの埋葬施設(礫槨、粘土槨)が発見されました。粘土槨はかなりこわれていましたが、礫槨はよく残っており、右図の様に多くの副葬品が出土しました。
 昭和48年から49年にかけての調査では、墳丘のまわりに方形の二重堀や、墳丘くびれ部の西側と中堤の西側に祭りの場と考えられる造出しが発見され、多くの人物埴輪や円筒埴輪が出土しました。これらの出土品や墳形から、西暦5世紀末から6世紀はじめ(今からおよそ1500年前)に築造されたものと考えられます。
 昭和53年に副葬品の保存処理を行った時、鉄剣から115文字の金象嵌の銘文が発見さえれました(金錯銘鉄剣)。これらの副葬品はその後国宝に指定され、さきたま資料館に展示してあります。
 なお稲荷山古墳の名前は、後円部上に稲荷社があったためですが、水田の中にあったので田山ともよばれていました。
埼玉県教育委員会

ここが例の、『金錯銘鉄剣』が発見された古墳ですね。


墳頂から見たこの古墳の前方。盛土したばかりなのでまだ角がピンとしています。
昔の築造当時の様子もこんなだったのでしょうか。




墳頂にある、礫槨と粘土槨の再現。
「う〜ん。」 いま一つ、ピンときません…。




そんなわけで下りてきました。

前方部の横には、重機の登り口がまだあります。
早いところここも復原しないと、後世の人に こういうものだと思われていまいますね。




散歩した日・・・二千三年五月四日 店主。


   


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